愛犬とのお別れと夢について

Kiki
オムツの赤ちゃんの夢
ある日、夢をみました。
誰かが、生まれたての赤ちゃんを「しばらくの間、お世話してね。」と言ってわたしに預けていきます。男の子か女の子か分からないけれど、とても可愛くてふわふわのお肌をしたかわいい赤ちゃん。わたしは強い責任感を感じます。「きちんとお世話しなくちゃ!」そう自分に言い聞かせて世話する決心をします。
赤ちゃんのオムツが汚れたので、オムツを替えます。小さな桶に暖かいお湯をためて、お尻をやさしく洗ってあげます。柔らかい清潔なタオルで拭いたあと、ベイビーパウダーをお尻の周りに塗って、オムツをつけます。赤ちゃんはすっかりきれいになりました。でも、またすぐにオムツが汚れたみたいです。同じ作業を繰り返します。お尻をきれいにしてオムツを着けて・・・。赤ちゃんは再びきれいになりました。でも、またすぐにオムツが汚れたみたい。わたしは同じ作業を何度も何度も繰り返します。永遠に続いていくような気がします。でも作業に夢中なわたしは一生懸命です。オムツを外して、新しいのを着けて・・・何度も繰り返します。
すると、桶の水がすっかり冷たくなっていたことに気がつきました。赤ちゃんの体も冷たくなっています。なんでもっと早く気がつかなかったんだろう?赤ちゃんはとても静かです。何も言いません。わたしはパニック状態です。赤ちゃんの体温がどんどん下がって行きます。でも赤ちゃんは穏やかな顔をしています。微笑んでいるようにさえも見えます。でもわたしはどんどん悲しくなっていきます。どんどん気持ちが沈んでいきます。「ちゃんとお世話するって決めたのにできなかった・・・。」悲しい気持ちでいっぱいです。
奇跡が起きれてまた元気になるかもしれない。そう思ってはいても、実はもう多分ダメなんだと感じています。とても悲しい気持ちで目が覚めました。
この時わたしの人生に起きていたこと
この夢を見た時、わたしは自宅から飛行機で5時間離れた場所でセミナーを受けていました。一緒に暮らして10年になる愛犬のキキは、約1年半前に癌だと診断を受けていました。腫瘍を取る手術をした後は、ホリスティックな治療をすることを選択し、ホメオパシーや食事療法などで治療していました。キキの体調はいい時と悪い時とがありましたが、ここ最近は調子が良さそうでした。わたしが不在にしている間は、夫と、お隣に住んでいる親しい友人家族が世話してくれていました。セミナーから帰宅する2、3日前に、夫から「キキがごはんを食べなくなった」と連絡がありました。この1年半食欲を無くすことが時々あったけれど、しばらくするとまた食べ出して元気になるパターンを繰り返していました。1年半前に癌摘出の手術をした際、獣医からは癌細胞はすでにリンパに転移しているので長くてもあと半年くらいだろうと言われていたのですが、意外にも1年半も元気に長生きしてくれていたので嬉しく思っていました。
とても印象的でエモーショナルだったこの夢を見た朝、わたしは単純に自分の忙しくて疲れている気持が夢に現れているのだと思いました。でも帰宅して、日に日に弱っていくキキの看病を始めてから2週間後にキキがお尻から出血してオムツを着けなければならなくなった時、改めてこの夢のことを思い出し驚きました。キキのオムツを変えながら、「あ、あの夢はこのことだったんだ!」と気がつきました。
夢をクリエイティブに表現してみる
印象的な夢をみたら、クリエイティブに表現することがその深い意味を探る効果的な方法です。わたしはまず夢で感じたことをノートき書き出しました。同時に、キキの看病をしながら、気づいたことや自分の感情についても書き出していくことで、夢の中の自分が経験していた感情と現実の自分が重なるところがあることに気がつきました。赤ちゃんに感じて抱いた愛情や強い責任感。世話に夢中になったこと。体調の変化に気づくのが遅かった自分を責める気持ち。希望を持ちながらも、もうダメなんだと感じたこと。沈んでいく気持ち、などなど。
さらには、夢で見た映像をイラストにしてみました。桶の中で赤ちゃんが気持ち良さそうにしている映像が最初に頭に浮かんできました。その絵を描いている途中で、遠くに何人かの人がいることに気がつきました。イラストを描くまで忘れていたのですが、わたしが赤ちゃんのお世話をしている間、少し離れたところからこちらを遠巻きに見守っている人々がいました。オムツを替える作業に夢中になっていたわたしはその人々の存在に特に注意を向けることはなかったのですが、でも存在感を感じたことははっきりと覚えています。この人たちの意味はなんだろう?絵で表現する、という作業をしなければ思い出すことはありませんでした。
夢を分析する
心理学では夢の意味はたったひとつではなく、想像を超えたいくつもの意味があると言われています。その通り、わたしはこの夢の持つ意味をいくつもの角度から分析することができました。まず最初に感じたのは、この夢は「現在自分が置かれている状況についてもっと心を開きなさい」というメッセージがあるということです。夢の中で、わたしは「オムツを替える」という作業に夢中になっていて、赤ちゃんの体温の変化や、遠巻きに見守る人々に注意を向けていませんでした。赤ちゃんは言葉を話しません。犬もそうです。わたしがしっかりと注意を向けてあげないと、彼女たちが感じていることをしっかり理解することはできません。また、赤ちゃんの体温が下がって来た時に、わたしはきちんとお世話できなかったことに落ち込み、自分を責めていました。現実の世界でも、わたしはキキに対して同じ感情を抱いていました。まるでデジャブのようです。夢で見た経験と映像があまりにも色鮮やかだったので、まるでわたしは同じ経験を2度してようにも感じました。キキの看病をしながら夢の分析をしたおかげで、わたしは現在の自分が置かれている状況を客観的に見つめることができたわけです。これは結果的に感情面でのサポートにもつながりました。
トランスパーソナルな視点から夢を分析すると、この夢は予知夢でした。ハッピーな予知夢でなかったことは残念です。でも予知夢のおかげで、キキの命の火が消えてゆくことは変えられなくても、自分が置かれている状況に対して夢とは違うアプローチをする、ということができました。このことに気づいてから、目の前で起きていることについて、自分の心を大事にしながら進んでいくことができました。例えば、自分を責めないことや、キキに1日でも長生きしてほしいと願う自分の思いが、キキの経験している痛みに値するかどうか、などです。夢の研究者として著名なジェレミー・タイラー氏は、「私たちの潜在意識は私たちよりも常に3歩以上前を進んでいる。」と言っています。また、「夢はあなたがすでに知っていることだけを伝えにくることは絶対にない。全ての夢は新たな気づきをもたらす為にある」とも言っています。赤ちゃんの夢はわたしに潜在意識の知恵と夢の深さについて教えてくれました。
拡大していく夢の意味
印象的な夢はいろんな意味やメッセージをわたしたちに運んできます。夢の中にいた、遠くからこちらを眺めていた人々の意味はなんだったのでしょう。一つ目に浮かんできたのは、彼らはわたしの心の中に住む、いろんな性格のわたしかもしれないということです。心理学ではこれをサブパーソナリティーと言います。わたしの悲しみ、完璧主義な性格、希望、責任感、愛情、自分を責める気持ちなどを司るさまざまなサブパーソナリティーたちはこの出来事をわたしの中で経験していました。二つ目に浮かんできたのは、現実の世界に存在しているわたしの家族、友人たちや、キキの担当医だった獣医さんたちです。キキが最期を迎える時、残念ながら夫は海外にいたのでわたしはひとりで看病しながら孤独感でいっぱいでした。でも実際のところ、周りには心配して様子をチェックしてくれる家族や友人などたくさんの人々がいました。わたしは人に感情を見せたり助けを求めるのがあまり得意ではないのですが、今回はたくさんの人々にいただいた愛とサポートを謙虚な気持ちで受け止めることができ、多くを学びました。
夢は本当に深くて面白いです。印象的な夢について思いを巡らしたり分析したりしてゆく作業を「ドリーム・ワーク」と言いますが、さまざまなツール(表現アート、グループワークなど)を使いながらドリーム・ワークをすることで夢を通して自分の潜在意識と繋がることができます。自分の新たな一面を発見したり、感情の真相について気づきがあったりします。
トランスパーソナルでは「偶然」は存在していないと言います。全ての「偶然」には意味があり、そこを探っていくことで新たな真実に気づくことができます。潜在意識は夢を通してわたしがこれから経験する悲しい出来事のプレビューを見せてくれていました。毎日見る夢も偶然ではないわけです。
愛犬とのお別れはとても辛く悲しい経験です。でもキキは死んでしまったあともわたしの夢にときどき出てきたりします。元気いっぱいに楽しく走り回っている姿や一緒にお散歩している夢など。夢を通してそんな姿を見ることで、わたしの心もさらに癒されていくのを感じています。


