
以前、「これが人生最後の1年だと思って生きてみたら」というエントリーを書いたのですが、今日は、「もし、死んだ後に、この世に1日だけ戻ってきたとしたらどう感じるだろう?」というテーマで思いを巡らせてみました。
死んでこの世を去ってから、地球時間ではもう数年、または十数年が過ぎています。今回、特別なパスをもらって24時間だけこの世界に戻ってきた自分。きっと、すごくセンチメンタルで懐かしい気持ちになるはず。
多分、まず最初に以前住んでみた家に行ってみると思います。そして実家にも。きっと、どうでもいいような小さなもの、例えば玄関の表札とか、ドアノブとか、タイルとか、そういうものを眺めて、触って感触を確かめて、妙に感心しちゃうでしょう。庭の片隅にボロボロになって放置されているプランターや、すごく昔に母親が作った花壇、父が植えた玄関の横のイチョウの木なんかをまじまじと見て、「すごいなあ。ここに住んでたことがあるんだなぁ。」なんて思うかもしれません。
そして、今でも生きているご近所さんや、年をとったけど元気にしている妹を遠くから眺めます。もし元気がなさそうな様子だったら、悩んでいたり落ち込んでいる彼女たちの姿を眺めて、慰めたくなる気持ちよりも先に、「生きてるってすごいなぁ。」と思うのかも。半分幽霊の自分は、彼女たちの生き生きとしたバイタルフォースを感じて、羨ましくなったり切なくなったりするかもしれません。
愛犬とよく散歩に出かけていた、緑の綺麗な公園にも行きます。目を閉じて自然の香りを嗅いで、木の葉が風にそよぐ音に耳をすませたり、きっと小鳥や虫なんかにも注目して、時間をかけてゆっくり観察します。そして、水辺のベンチに腰掛けて、散歩やランニングを楽しんでいる人々を眺めます。
目を閉じても感じることができる、人の声、木が揺れる音。 肌で感じる空気の感触や草花の匂い。波打つ湖の水が太陽の光を反射させてキラキラと輝いている様子。青い空とふわふわした雲たち。24 時間という限られた時間だけに、身体の五感を通して感じることができる「生きている証」みたいなものを思いっきり堪能します。
日が落ちてももちろん眠らずに、夜空を眺めたり、静まり返った街を散歩したりして、ふるさとへの帰省を満喫します。こんな美しい、でもとても不思議な場所に、ちょっと前まで自分も人間として暮らしていたんだなぁと、誇らしい気持ちが湧いてきたり、または複雑な気持ちになるかもしれません。
そして、生きているときは早起きが苦手であまり見ることのなかった朝日を、海辺から眺めます。太陽が登るたびに、毎朝こうしてまっさらな1日の始まりが誰にでも訪れていることに感動すると思います。
「今日もなんとか乗り切ろう・・・。」そう思いながら、冴えない気持ちで目覚めて、重たい気持ちを抱えながら生きていた頃の自分をふと思い出します。人間関係や仕事、夢や目標など様々な葛藤を抱えて、ときには苦しくもなっていた自分の人生を愛おしい気持ちで、でも誰かの夢の中の話のようにちょっと遠く感じます。
こんなに美しい場所で、とても特別な経験をさせてもらっていたー。そんな風に、人間として生きていた頃のことを振り返るかもしれません。
24時間が終わり、死後の世界へ帰ってから、「地球への弾丸トリップはいかがでしたか?」と、あちらの世界の先生らしき人に訊ねられた時、きっと「素晴らしかったです。今度はもう少し長く訪ねたいです。」と答えると思います。そして、ラッキーだったら、次の訪問先は誰かの子宮の中から、はじまるのだと思います。
。。。。なんて、ちょっとしたDay Dreamingですが、イライラしたりモヤモヤしたり、先行き不透明な未来について不安でいっぱいになった時など、こんな風に思いを巡らせてみると
不思議な客観性を持って自分の人生の経験に、感謝や喜びの気持ちが芽生えてくるかもしれません。